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柏崎原子炉監視ビデオ

7/16に起こった地震で、
使用済み燃料保管プールの水が溢れる様子を録画したビデオが asahi.com にも掲載された。

テレビでは数日前にも見た記憶があるが。。

事故直後の隠蔽体質は「どうか」と思ったが、
このような情報公開がされている事からすると、貼られたレッテルの払拭に躍起になってるんだと思う。

少なくとも、隠蔽体質よりは、オープンな姿勢が好ましい。

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甚平

会社帰り浴衣を着た人や甚平を着た人何人かに遭遇。

そういえば、最近は雪駄なんかも良く見かける。

ここ、渋谷なんだが。


若者に和物が流行っているんだろうか。

衣類なんかは、日本の気候に合ったものが何十年、何百年という月日を重ねて出来上がってきたものだろうから、
流れとしては自然なはずだ。

日本の良き伝統文化が見直されたって事だろうか。

何年か前なら、渋谷や新宿といった都心を浴衣や甚平で歩くにはちょっとした気恥ずかしさがあって躊躇されたものだ。
実際、数年前はこんな光景は見た覚えがない。


もし、気恥ずかしさというハードルがあって、それにも増して、日本の蒸し暑い夏に日本の歴史が育ててきた着物という文化が認められて、 こうして闊歩する人が増えているのであれば、それはそれで素晴らしいことだ。

しかし、何らかのファッションで「和服が流行だ」なんて事でこうなっているのであれば、まぁ、それはそれで。


ん?もしかして花火大会でもあったか?

それとも、この温暖化で、より実を取っただけ?


(8/5 追記)
文化や伝統というのは、積極的に守らなければならないようなモノでは無いと思う。

放っておいて自然淘汰的に残るものが本物の文化であり伝統なのだと思う。

天然記念物を保護するようなやり方をしないと消えて無くなってしまいそうなモノは消えてしまっても良い。

100年、200年と残るモノには、そのモノ自体に力がある、価値があるのであって、
積極的に保護しないと消えてしまうモノには、力が無い、価値が無いのではないだろうか。

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鰻はお茶で

『所さんの目がテン』という番組によると、
スーパーで安く売っている鰻の蒲焼はゴムの様に硬かったりするが、 お茶で煮るように調理する事でやわらかくなるそうだ。

原因はコラーゲン。
この繊維性たんぱく質によって特売うなぎは硬いのだそう。
専門店では蒸したり焼いたりする段階で、このコラーゲンを取り除いているそうだ。
専門店のはコラーゲンが取り除かれている。
特売品はコラーゲンが取り除かれていない。
この違いが食感の差になってあらわれるそう。

硬い蒲焼をやわらかくするには、
特売うなぎをフライパンに入れ、皮が浸るぐらいにお茶(緑茶)を入れ、その後5,6分、水分が飛ぶぐらいまで煮込む。
これだけ。

お茶(緑茶)は弱アルカリ性。
この弱アルカリ性がコラーゲンを溶かして取り除く事ができるそうだ。

お茶で煮込むだけで、特売品が高級な蒲焼に。
試してみては?


って鰻なんてしばらく食べてないよなぁ。
中国産ウナギが抗菌剤で汚染されてるとか、
欧州産のウナギの稚魚が取り過ぎで輸出規制とか、
そんな話を聞くと、そんなに「食べたい」って気にもならないなぁ。

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日本語ブログは世界一

R25によると、世界中で投稿されるブログの内、 日本語で投稿されるブログの量が英語で投稿されるブログをおさえて世界一なんだそうだ。
(Technorati)調べ
Technorati
Technorati japan
投稿言語比率
日本語37%
英語36%
中国語8%
イタリア語3%
スペイン語3%
ITmediaによる同内容レポート

世界における英語人口と日本語人口を考えると、これはスゴイ事だ。
R25の記事では「英語ブログがジャーナリスティックなものがほとんどなのに比べ、日本語ブログは日記感覚でアップされるものが多い」と分析。


ジャーナリストか日記ブロガーかはともかく、
ここまで突出している事が素晴らしいことではないでしょうか。

これはもう、オタク文化ですね。
たぶん、日本人というのは、世界の中では「ちょっと変な」民族なんだと思いますよ。
この「変な部分」、これは「個性」ですからね、
今後の世界における日本の位置って事を考えると、
このオタクっぽさが頼もしく思えたりもしますよ。

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本能

「心理学者は本能という言葉は使わない」
ずっと昔だが、心理学者の宮城音弥という先生が熱く語っていらした。

心理学というのは、人がある行動をとった時、なぜそのような行動をとったのかを研究する学問。
「なんで?」
「どのような気持ちや感情が、そのような行動になったのか。」
「その行動の動機付けは何なのか。」
心理学というのは、そのような学問なのですね。

ところが、そこで「それは本能だから…」と言い出すと
心理学の立場では『本能』という言葉を持ち出した時点で、
「なんで?」を探求する事を止めてしまって、分かったような気になっているだけだ、という事なんです。

つまり、「分かった」と思い込む事で、それ以上考えようとしない事が問題なのだ、と。
真実を知るには、その対象に真摯に向き合う必要がある、と。
心理学をやっている人間が『本能』という言葉を使うのは、真実を探求することから逃げているだけなのだ、と。
そう、宮城音弥先生は熱く語っていた訳です。

この日記を書くのに宮城音弥をネット検索したら、宮城先生は2年前に亡くなっていたんですねぇ。

宮城先生は、私自身の価値観やモノの考え方に影響を与えた人です。
そのような先生がいつの間にか亡くなっている。
人生、一期一会なんだと思います。


さて、ここからは私の解釈ですが、
心理学のような動機を探求する学問では『本能』という言葉に逃げることはタブーなんだと思います。
一方、心理学以外の分野では「なぜそのような行動をしたのか」を追求しなくても良い場合もあります。

最先端で研究している人にとって課題は1つではなく、同時に幾つもの課題と取り組まなければならない場合がある。
その複数の課題には、真正面から取り組まなければならない課題と、脇に追いやっても良い課題がある。

そんな優先度の低い課題に惑わされないように、たとえば『本能』という言葉を用いる事によって、
カテゴライズ(抽象化)するのはアリなんだと思う。
つまり、どうでも良い課題に対して、あるキーワードを用いる事で深入りせずに済むのであれば、そうして良い、
そう思います。

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地震

会社から帰ってみれば、新潟で地震があったらしい。

前から思ってたんですが(気のせいかもしれないけど)
大きな地震は、大きな低気圧が通り過ぎた後に起こる傾向があるような気がする。
気圧の大きな変化って地震のトリガーになったりするんじゃないのかな。


不謹慎かもしれないけど、地震のメカニズムについて。

プレートというのは、マントルの上にあるわけでしょう。
マントルというのは対流しているわけですが、
プレートというのは、そのマントルの上に浮いているわけですね。
水の上に固まったラードが浮いているのをイメージするとわかり易いかもしれません。


で、なぜプレートが動くか、考えた事がありますか?
プレートはもともとはマグマ(マントル)が冷えて固まったものなのですが、
地球表面にありますから、冷える事によって比重が上がって、今度はマントルの中に沈み込もうという力が働くわけなんですね。

もし仮に、地球上にたった1枚のプレートしか無かったと仮定しましょう。
プレートの端っこではマントルの中に沈もう沈もうという力が働いています。
何らかの拍子にプレートのある方向の端っこがマントルの中に落ち始めると、
プレート全体がその方向に引っ張られて動き出すそうです。
これがプレート移動になるんですね。

もしこのマントルの中に落ちるという動きが一箇所ではなく、プレートの両端で起こったとしましょう。
プレートは両側に引っ張られるわけですから、プレートの中央のどこか弱い部分で亀裂が入ります。
そうすると、そこからマグマが噴き出すわけです。

古い学説だと「プレートはマントルの対流によって動く」という事なのですが、
“対流が主でプレートが従”という考え方には無理があるらしいんですよね。
割と最近(といっても10年以上前)の学説だと“プレートが自ら落ちる”みたいなんです。


実際にはプレートが1枚って事はなくて、複数のプレートがせめぎ合っているわけですね。
プレートとプレートとの境界が存在する。
地震はほぼ、このプレート境界で起こっています。

プレートとプレートが接するところ。
これ、決して境界面一様に圧力が掛かっているわけではないのですね。

地表面というのは、山あり谷あり。
プレートとプレートの接点も、凸凹(でこぼこ)があるわけです。

そうすると、プレートの凸ったところ(突出したところ)に圧力が集まるんですね。

プレートの境界面の全体で均一に歪みエネルギーを支えているわけではなく、
一箇所、あるいは数箇所の圧力が集まった点で限界まで持ちこたえているんですね。
この圧力が集まる点を『アスペリティ』と呼んでいます。

一箇所の『アスペリティ』が限界を超えてしまい、歪みに耐え切れなくなると、
プレートがずれる事によって(つまり地震を発生させることで)エネルギーを放出するわけですが、
そうすると、近所の『アスペリティ』にさらなる負荷が掛かる。

もしこの近所『アスペリティ』がその負荷に耐えられなければ、この『アスペリティ』も崩壊する。
こうして連鎖的な地震は発生するわけですね。

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コミュニケーション能力

コミュニケーション能力が高い/低いというのはどういう事でしょう?

たとえば、犬と猫、コミュニケーション能力の高いのはどっち?
対人間という意味でのコミュニケーションですよ。


一般的に言われる「コミュニケーション能力」っていうのは、
「意思疎通の能力」だったり「場の空気を読む能力」だったりである。

往々にして「人間関係能力」の事を指している。

下世話な解釈では「チームワークを良くするための潤滑油」程度のものである。
「人当たりが良い」「周囲を朗らかにする」「場を和ませる」そんな程度のものだ。
このような解釈は、現場に近い場所で行われる事が多い。
営業職や接客業であれば、この解釈は的を得ている。
「意思疎通の能力」
製造業の現場では、複数人が協力して一つの物を作り上げるため、このような解釈が蔓延する。

もう少し学術的な場所、つまり、コミュニケーションを研究しているところでは、
「話しやすい雰囲気を作るスキル」「対話術」という解釈がされる。
カウンセラーであれば、この解釈による能力が重要。

「ディベート」を「コミュニケーション能力の1分野」とする考え方もあるが、
ディベートは論破、すなわち相手を打ち負かす事を目的としているので、
「コミュニケーション能力」とは合いいれない分野ではないかと思う。

最初のたとえ、犬と猫、コミュニケーション能力が高いのは?
「意思疎通」という面では、犬の方が数段上な気がする。

犬というのは、嬉しければ尻尾を振り、飼い主が「伏せ」と言うと伏せてみせる。
それに比べ、猫というのは腹が減れば寄ってくるが、普段は勝手気まま。


会社の中で「コミュニケーション能力が大事だ」と声高に主張する人は居るものだが、
彼らが主張するのは「コミュニケーション能力」に名を借りた「協調性」「没個性」を強いるものだったりする。

「周りと仲良くしろ」
「言われたとおり、キチンと仕事しろ」と。

現場を険悪な雰囲気にするような人より、和やかになる人の方がいいに決まっている。
「自己中(自己中心的)」より「愛想良い方が」
そんな事は当たり前である。

「協調性」「没個性」という偏重した解釈は、要は
「組織の中の歯車としてキチンと機能する事」を求めている。
言わば「組織力」「結束力」に名を借りた「服従の強制」だったりする。

高度成長時代であれば、このようなやり方で良かったのかも知れない。

しかし、この歪みが「給湯室のOL文化」「タバコ部屋でのリーマン文化」を生み、
「ネゴ文化」「企業内派閥」「談合」という膿につながって行ったのではないか。


しかし、一般の社会人としてもっと重要なコミュニケーション能力があるだろう、と思う。

たとえばあなたが病人で医者へ行ったとしましょう。
普通、患者は病気に対しては素人だ。
対して、医者はプロ。
医者の目的(存在意義)というのは、病気を治す事、あるいは軽減する事。
その為には、より正確に病気の原因を突き止める行為が必須である。
医者に求められる「コミュニケーション能力」というのは患者の心をほぐすために世間話をする事では無い。
医者はまず問診をし、その後道具を使って診断するだろうが、
求められる「コミュニケーション能力」というのは、病因を的確に判断するため、 「適切な質問」をする能力である。
「話しやすい雰囲気作り」や「信頼関係」ということも大事なのかもしれないが、
良い医者というのは、患者にとってベストな処置ができる医者である。
そのためには知識と経験が必要となる。
もし患者が不安を取り除くを事を重要視しているのであれば、疾患を探る以上に心のケアができる医者が良い医者である。
医者にとっての「コミュニケーション能力」は「真実を引き出す力」である。


別の喩えをしましょう。
あなたが家を建てようとして建築家の元を訪れたとしましょう。
家を建てようって人(=クライアント)は「あんな家が良い」と夢はあるものの、建築のプロではない。
コンセントの位置とか、梁の高さなんて細かい事は考えていないケースが多い。
夢を具現化できてない場合が多く、現実との間にギャップがある場合もある。
資金的に無理、なんて事もあるだろう。
その隙間を埋めるのがプロとしての仕事である。
クライアントが本当に求めているのは何か。
優先順位を付けた時に、「ゆずれない」という線はどこにあるのか。
それを引き出すのが、建築家にとっての「コミュニケーション能力」であろう。



『引き出す』と言えば、少し脱線しますが、

教育するという意味の educate という単語。

英語 educate の語源はラテン語だそうです。
導く(to lead) を示す ducere(ducāre) という単語の頭に
e = ex (= out) を付けたものだそうです。
out は引っ張り出す/導き出すという意味ですから、
ē-ducāre は子供の持つ能力(あるいは可能性)を導き引っ張り出す
という意味になります。
語源を調べるのに使った⇒ Alcの語源辞典
Free Dictionary

educate の語源に比べ、日本の教育はいったい何なのだろう。

昔は「詰め込み教育」が問題視され「ゆとり教育」が叫ばれるようになって久しいが、
詰め込む量を減らしただけではないか。
フォアグラを作るように詰め込んでいたのが昔だとすれば、
今では極端に減らし過ぎて、逆に栄養失調だ。

生きていくための力を付けるのが教育だとすれば、日本の教育は何がしたいのだろう。
「導き引っ張り出す」という教育からほど遠い様に思えるのはなぜだろう。



脱線しすぎた。話を元に戻しましょう。
# 長いな。


犬と猫。
犬は群れで狩猟する動物。猫は単独で狩りをする動物。
犬が人間になつくのはそんな違いから来ている。

「コミュニケーション」が「引っ張り出す」という意味であれば、犬と猫とでその能力は大して差が無いように思う。

犬の場合は、介護犬で飼い主の異変にいち早く気付いて行動する奴もいるようだが、やはり特殊な例だろう。


で、「コミュニケーション能力」というのは「会話術」や「意思疎通」というだけでは無く、 「洞察力」が伴わないとダメだろう、と。

相手の事を思いやれない「コミュニケーション」など、どんな意味があるのだろう。




何故、脈絡も無くこんな「コミュニケーション能力」なんて事を書き始めたかというと、

『選挙』だ!

与党も野党も、パフォーマンスばかりに終始しやがって。

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ミスタードーナッツ

の事を“ミスド”って言うらしい。
関西人がマクドのイントネーションを _(― ̄_) とこだわるように
ミスドも _(― ̄_) なんだろうか。

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茂木講義

茂木健一郎 クオリア日記
というのを見つけた。
(本当は知っていたが、ちゃんと読んだ事が無かった。)

で、斜め読み(というより、飛ばし読み)してみると、
大学で講義した時の音声ファイルが MP3 で置いてある。

試しに、日付が新しい方から
7月7日に神奈川大学で行われた講義
7月4日に東京大学で行われた講義
を聞いてみた。

神奈川大学の方は、社会人対象講座のようで、
ところどころに世間話を盛り込んで喋っている。
聞いていると、なかなか核心に至らずにもどかしい。

一方、東京大学の方は、早口だし、英語入ってるし、
学問的なんだが、
これは、片手間に聞いて理解できる内容じゃないねぇ。
集中して聴かないと置いてかれるねぇ。

ひさびさに学生気分が味わえました。

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ボーナス返納について考える

例の年金問題で、
「けじめだ」ってことで政府が過去歴代の厚生労働省事務次官と社会保険庁長官に『ボーナス返上』を求めたらしい。
旧事務次官14人に対しては
「現職の今年の夏ボーが310万だったから、310万返納しとけ。」
旧社保庁長13人に対しては
「現職の今年の夏ボーが270万だったから、270万返納しとけ。」
ということでお茶を濁そうとしたらしい。

これに対し、
旧事務次官14人中6人が「やだもーん」と拒否。
旧社保庁長13人中2人が「やだぷー」と拒否。

随分とあきれた話である。

まず、310万、270万という『高額』に驚く。
それを貰うだけの働きをしていたのだろうか。

中にはとてつもなく頑張っていた人がいたかも知れない。
しかし、組織に従属しているということは『連帯責任』という責務を負わねばならない。

普通の会社だったら、会社の業績が悪かったら従業員全員ボーナスカット、という仕打ちだって珍しくない。

次にびっくりなのが、たった1回分相当のボーナス返上でもみ消そうという政府の『事なかれ主義』(とも思える態度)である。
言いだしっぺが懐が痛くも無い程度の額を返納して「ボク悪くないも~ん。」「頑張ってるも~ん。」という態度だから。
浮世離れした感覚しか持ち合わせていないのだろう。

しかし、考えてみれば、たった1回分のボーナスで責任の所在を有耶無耶にしてくれる『免罪符』を得ることができる。
安いものではないか。

まったく、対応が手ぬるいという以外に無い。

この事が、かなりの日本人の神経を逆撫でしたのは間違いない。

で、やはり開いた口が塞がらないのが「返納やだぴょ~ん」という当事者だろう。
そもそも自分たちがやるべき事をやってこなかったからこうなっているんじゃないのか。
散々好き勝手に浪費して、ずさんな管理をして、
それでもって高額な給与をもらい、ボーナスもらい、退職金をもらい。

だいたい、やってきた事は、国民に対する裏切りではないか。
「お主も悪よのぉ。ぬは、ぬは、ぬは」
「お代官様こそ。ぬはははは」
やるべき責任を果たさずに、ただひたすら金を受け取る。
それって世の中で『詐欺』って言うのでは?
いや、国民を愚弄してきているのだから『国家反逆罪』と言っても過言ではない。

もともと貰う資格の無い給料やボーナス貰っといて
それでいて「返すのやだもーん」だもの。

さしたる成果も出さず、一般人の生涯収入よりも多くの収入を得る。

世が世なら、財産没収、市中引廻しの上、打首獄門。



あー、厚生年金払いたくないなぁ~。
(自動的に取られちゃうんだけどね)

こうして negative thinking.
my motivation fell to pieces.

だいたい、厚生年金なんて国民から騙し取るしか収入ないじゃん。
そんなのを民営化したって税金食いつぶす以上の事ができるのか?
いっその事、つぶしちゃえ。
これから搾取される年金とつぎ込まれる税金と、返ってくる微々たる受取をはかりに掛けたら、
いっそ無くなったっていいぞ。
今まで取られた分が掛け捨てになったって構わない。

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WiiとPS3について考える

6/22 のブログで「PS3=トロ専用」なんて書いてしまったのですが。

なにせ、6月の本体販売台数が「WiiはPS3の6.5倍」(国内集計)なんて数字があったので。

ですが、その後いろいろ聞いてみると、
「WiiなんてWiiスポーツに飽きたら何もやる事が無い」なんて声もチラホラ。
「中身は GameCube と変わらないじゃないかよ」という酷評も。

つまり、PS3 にはキラーアプリ(キラーソフト)が無いけど、
WiiにだってキラーアプリはWiiスポーツぐらいしか無い。

Wiiは滑り出しが好調だっただけに「いかに失速しないか」という事が課題なんですね。

もしWiiが失速しちゃうと「次世代機には次世代機に相応しいスペックを積もうとしたPS3が正しい」って事になるんですかね。

他力本願な部分があるにせよ、PS3 にはまだ希望が残っている、という事でしょうか。

Wiiの失速が先か、PS3の失速が先か。
(ちょっと考え方がネガティブかな?)

白い置物と黒い置物の明日はどっちだ。


ん!?

シロいのとクロと言えば・・

クロの方が高級という設定になってて、

シロい方が人気があって、

毎日違う話題でニュースやってて、

クロいのとシロいのが時どきハリセンでどつき合ってて、
たまにタライが落ちてきて、

トロ(違

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R25が3周年

0円とは思えない高クオリティの情報誌『R25』が3周年に突入だそうだ。

でもって、その記念に『R25的ガク祭』という企画。
http://r25.jp/gakusai2007

期間限定イベントも用意。
7/5(木)21:00~7/7(土)3:00(30時間)オバケ屋敷
7/13(金)21:00~7/14(土)3:00(6時間)R25ライブ
7/20(金)21:00~7/21(土)3:00(6時間)花火大会
7/27(金)21:00~7/28(土)3:00(6時間)キャンプファイヤー

うーむ、しかし、読み込みが遅いし、
時々ハングアップするなぁ。
バグってるっぽいぞ。

タダだから、あんまり文句を言う訳にも行かないが。

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